2006-08-02 第164回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第10号
また、米ノ津川、二級河川でございますが、昭和二十四年のデラ台風による水害を契機に河川改修が完了しているものの、甚大なはんらん被害が発生いたしました。 このような状況に対しまして、国土交通省といたしましては、今回の災害を踏まえ、再度災害の防止の観点から、迅速かつ抜本的な河川整備を行い、治水安全度の向上を図ってまいりたいというふうに思っております。 以上でございます。
また、米ノ津川、二級河川でございますが、昭和二十四年のデラ台風による水害を契機に河川改修が完了しているものの、甚大なはんらん被害が発生いたしました。 このような状況に対しまして、国土交通省といたしましては、今回の災害を踏まえ、再度災害の防止の観点から、迅速かつ抜本的な河川整備を行い、治水安全度の向上を図ってまいりたいというふうに思っております。 以上でございます。
○榊政府委員 お話しのような発がん性物質についての禁止条項は、アメリカのデラ二一条項のことを指しておられると思いますが、日本の場合、食品衛生法の第四条二号によりまして、これとほぼ同様な扱いをすることが可能だと思います。
うち、デラが三千百ヘクタールつくられているわけなんですけれども、大変な減収になっております。当地では農家の皆さん方も、県も、たとえばかさもかけたと、それから休眠期防除もやってきたと、それからビニールテントなんかも張っていると、まあいろいろとやられているわけです。
そうして、このことは日本ワイナリー協会の、日にちは一月ころだと思います、ちょっといま書類を持ってきているんですけれども、ワイナリー協会の第四十四回の理事会で、ワイン原料問題に関する山梨県当局との意見交換についてということで話があったときに、県の農務部長が、甲州やデラその他醸造用品種、いま訂正して兼用種と言いましたけれども、この醸造用品種としてそれらのつぶしている、ブドウ酒の原料としてつぶしているのを
たとえばいま山梨ではデラとか甲州種も原料ブドウだと言っていますけれども、これは食べる方にも使っておりますので、純粋な意味におけるワインの原料用のブドウということになるとまた全然角度が違ってくるんです。そういう点で、これは全国的な問題でございますので、その点十分御留意をいただきたい。
それからイタリアの場合は、下級審の人事はいわゆる高等司法会議というのがありまして、コンシリオ・シュペリオーレ・デラ・マジストラトゥラと言っていますが、これは各級から裁判官が選挙で選ばれるのです。高裁から何名——向こうでは控訴院ですが、それから破棄院から何名、地裁から何名、選挙で選ばれて、下級審の人事はその高等司法会議で決めるわけです。
私は知りませんが、いわゆる遊び人だとかやくざだとかいわれる人たちの手なぐさみといわれるばくちも、役がついて、初めて五分デラというふうに聞いているわけです。ところが、公営ギャンブルが二五%で、四回で全額を吸い上げるということは、あまりにも酷なようにわれわれは考えているわけです。
○吉野政府委員 三十四は平良(たいら)川、アメリカではデラ川と呼んでおります。三十五は波平(なみひら)ですが、アメリカはハンザといっています。
それからデラ川については、具志川市平良(たいら)川というふうにちゃんとはっきり地名になっておるわけですよ。いやしくもこれは日米交換の公文書でしょう。ちゃんと日本語でいまあなたも読みましたように、タイラ川、ナミヒラ、ズケランと、こういうふうにずっと言ってきておるわけでしょう。それをアメリカが、たとえそれが呼びやすいからといって、デラ川とかハンザとかスキランというのはおかしいじゃないですか。
○吉野政府委員 先ほど御説明いたしましたように、たとえば平良(たいら)川をなぜデラ川と向こう側は呼んでおったかということから申し上げますと、やはりアメリカ人は、現地の方言というのか、その部落の人たちが使っていることばをそのまま耳でとりまして、そしてデラと書いたわけでございます。
○淡谷委員 参考人にちょっとお尋ねしますが、簡単でけっこうですが、このジベラ錠その他ジベレリン系の薬というのは、生長促進も大事でございましょうが、一番大事なのは、ブドウのデラ系のものの種を取るというところに農民の意欲が動いて使っておるように聞いておりますが、いかがでございましょうか。その点だけでけっこうです。
それから二十四年六月二十一日に大分県の姫島の東方十六キロで、川崎汽船の青葉丸、五百五十九トンの船がこれも突風で、デラ台風ですかで沈没しております。瀬戸内海の中ですらそうです。ちょっと瀬戸内海を出ましたら、沖から風を受けるようなところになりますと、それは当然考えられなければならぬでしょう。ですから結論は、小さい船の設計はむずかしいが、むずかしければなぜ小さい船をお許しになるかということになるのです。
これが二十四年のデラ台風によって被害を受けまして、先ほど池田専門員の方から御説明がありました通りに、これからこれまでが五百七十二メートル、あと橋梁が、三カ所と、せきとめ樋門と樋門が一カ所ずつあったわけでございます。これがデラ台風によって流されまして、災害復旧をすることになったわけでございますが、その実際の補助金がつきましたのは、二十八年度で初めてついたわけでございます。
中でもルースとかデラ台風といったような大きな台風が、昭和二十年から二十九年の間に十一度も上陸いたしておるのであります。従いまして、これが非常な災害を与えておったことは、私が御説明申し上げるまでもないのであります。
そのためにデラ台風のとき、ジエーン台風のときにもああいうふうな特別立法ができたのであります。昨年の多いときになかつたと言いますが、今年の十五号台風あたりの際におきましては、これはことしが最低の年であるとはいうけれども、これは関西のある部分、瀬戸内海沿岸、豊後水道の沿岸というようなところは、非常に大きな災害を受けておる。
お手元にありまするこの案を基礎にいたしまして、大蔵当局と委員長と交渉をしていただいて、事務的にこういうふうなことができまするならば、今までデラ台風その他でありましたので、それを準用して行政的にやれるものでありますならばそのような御処置が願いたいし、なおまたもしそれが事務的にやれない、法的措置がいるということになりますと、災害対策特別委員会等でもこれは取上げるべきだということになつておるようであります
というのは、これは気象台との関係もありますが、昭和二十四年の六月中句ごろに有名なデラ台風がございました。これは中央気象台の発表が全然なつておらぬから、四国の高松から関門方面に向けて五百九十九トンの青葉丸という船がお客をたくさん乗せて出港した。方向違いに台風か通るというので安心して通るうちに、台風にぶつつかつて沈んでしまつた。
即ち本県の災害は二十一年の南海震災から二十二年の水害、二十三年のアイオン台風による災害、二十四年のデラ及びキティ台風による災害、二十五年のジェーン台風によるもの、二十六年のケート及びルース台風によるもの、二十七年のダイナ台風によるもの等相連続し、その復旧に至らざるものなお六十四億余円を残しながら今回の大水害を受くるに至つたのであります。
五というものを次年度にやると言うけれども——ことし六月の二十六日に来たのは早いと言われるけれども、昭和二十四年は六月十九日に、南九州から中国地方にデラ台風が来ておりまして、最近は六月に来ることは常識になつておる。三・五・二というのは、何か金科玉条のごとく言つておられますけれども、次年度の五をやる前に災害が来る。
このままで進みますれば、ちようど二十四年の六月のデラ台風のように九州を縦断するかと非常に心配しておつたのでありますが、二十三日の正午ごろ大隅半島に接近しましてから進路を東に曲げまして中心のミリバールも九百八十と下りまして、中心付近の風速もまた弱まつて参つたのでありまして、これから以後は大体熱帶性低気圧として取扱うことになつたのであります。
本地方においては最大風速三十メートル、四時間雨量百二十ミリに達しましたため今回、秡川、城井川、岩丸川、佐井川等一斉に氾濫し、往年のデラ台風に匹敵する被害を惹起したのであります。折からの高潮と合致しまして、曽根海岸、行橋海岸等も随所に破堤、決壊を生じました。災害復旧費総額約四十億円中、土木関係は約十九億円であります。 次に各県、各市町村において承まりした要望事項のおもなる点を申し上げます。
本請願の要旨は、去る十月襲来したルース台風により、山口県全域は悲惨な大被害を受け、その被害総額は、先般のデラ、キジヤ両台風の数倍にも達する額となり、特に公立学校の災言においては十億余円に達し、教育運営上の障害は深刻なものがあるが、これが復旧は、現在の窮迫せる市町村財源ではとうてい実現困難である。ついては、次の事項をすみやかに実施されたいというのであります。